924                                                     「あかしの石」

―最も重要な預言P~真理は人を分けるa
主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い
 生ける石である。
(・・)この石は、より頼んでいるあなたが
 たには尊いものであるが、不信仰な人々には・・『つま

 きの石、さまたげの岩』である」ペテロ第一
2-47~8

では、なぜ教会は、キリストの再臨の教義と

説教を、このように歓迎しなかったのであろ

うか。主の再臨は、悪人に災いと滅びをもたらすが、義人

にとっては喜びと希望に満ちている。この大真理は、各時
にわたって、神の忠実な者たちの慰めであった。それが
なぜ、
ユダヤ人たちにとってのイエスと同様に、神の民と
称する人
々にとって「つまずきの石、さまたげの岩」となっ
たのであろ
うか。「行って、場所の用意ができたならば、
またきて、あ
なたがたをわたしのところに迎えよう」と弟子
たちに約束さ
れたのは、主ご自身であった
(ヨハネ14-3)

弟子たちの寂しさと悲しさを思って、天使た

ちに、自分は天に昇っていったのと同じあり

さまでまた来るという保証を与えて彼らを慰

めるよう命じられたのは、あわれみ深い救い

主であった。弟子たちが、愛する主の最後の

姿を見ようとして、天をみつめて立っている

と、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立

っているのか。あなたがたを離れて天に上げ

られたこのイエスは、天に上って行かれるの

をあなたがたが見たのと同じ有様で、またお

いでになるであろう」という言葉に注意をひか

れた(使徒行伝1-11)。弟子たちは、天使の言

葉によって、新たな希望を抱いた。彼らは、

「非常な喜びをもってエルサレムに帰り、絶え

ず宮にいて、神をほめたたえていた」(ルカ24-

5253)。彼らが喜んだのは、イエスが彼らを

去り、残された彼らが世の試練や誘惑と戦わね

ばならなくなったからではなくて、天使が彼ら

に、主はまた来られるという保証を与えたから

であった。     各時代の大争闘 p29~30