10月1日                            「あかしの石」
初代文集―
 経験と幻
                 Ellen G. White
  もしわれわれが、来世においてキリストの栄光にあずかろ
うと思うならば、この世において、キリストの苦難にあずからな
ければならない。もしわれわれが、神をお喜ばせすることと、
神の尊いみ業を苦難に耐えて推し進めることを求めるかわり
に、自分の利益と自分を最も喜ばせる方法を求めるならば、
われわれは神のみ栄えと、われわれが愛すると公言してい
る聖なるみ業の栄えを汚すのである。われわれが神のため
に働く時は、わずかしか残っていない。イエスの散らされ、裂
かれた群れを救うために、犠牲にするのが惜しいものは、何
一つあってはならない。今、犠牲をもって、神と契約を結ぶ
ものは、間もなく故郷に集められて、豊かな報賞にあずかり、
新しい王国を永遠に所有するのである。
 われわれは、全的に主のために生き、規則正しい生活と
敬虔な行状によって、われわれがイエスとともにあることと、
彼の柔和で謙遜な弟子たちであることとを、人々に示したい
ものである。われわれは昼のうちに働かなければならない。
困難と苦難の夜が来るならば、神のために働くには遅すぎる
のである。いrスあh彼の聖なる神殿におられて、今、われわ
れの犠牲、われわれの祈り、われわれの過ちと罪の告白を受
け入れられる。そして、彼が聖所を去られる前に、イスラエル
のすべての罪をゆるして、消し去られるのである。イエスが聖
所を去られると、聖であって義なる者は、聖で義なるままであ
る。なぜなら、そのとき彼らのすべての罪は消し去られて、生
ける神の印を押されているからである。しかし、不義で汚れた
者たちは、不義で汚れたままである。なぜならば、そのとき、
彼らの犠牲、彼らの告白、彼らの祈りを、父なる神のみ座の
前にささげる祭司がいないからである。それゆえに、来るべ
き怒りのあらしから人々を救うためになすべきことは、イエス
が天の至聖所を去られる前にしなければならない。
                            p114~115